シュートを構えるラリー・バードの後ろ姿

1960s — 2020s

3ポイントは
NBAをどう変えたのか

ABLの実験から、NBAの導入、短縮、そして復元まで。距離がシュートの価値を決めた、もう一つの大きな改革をたどる。

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3ポイントは
興行の発明だった

最初に線を引いたのは、NBAではなかった。

1961年、エイブ・サパースタインは、新リーグ「ABL」を立ち上げた。サパースタインは、1926年に創設された世界的な興行チーム、ハーレム・グローブトロッターズのオーナーだ。巧みなパフォーマンスで観客を沸かせ、NBAの試合の前座にも出て、リーグの人気を支えていた。

立ち上げの理由は、NBAへの不満だった。長年NBAに協力してきた見返りに、ロサンゼルスの球団を約束されたと考えていた。ところが、球団は手に入らなかった。ロサンゼルスへの移転が認められたのは、ミネアポリス・レイカーズだった。

サパースタインは、NBAに対抗するリーグを自分で作った。巨大なNBAに挑むには、ルールそのものに、NBAと違う武器が必要だった。

彼が選んだのが3ポイントだ。遠くから決めれば3点。野球のホームランのような一撃を、バスケットボールに持ち込もうとした。

距離は25ft。科学的な根拠はなかった。サパースタインが、デポール大のレイ・マイヤー監督とコートにテープを貼って、決めたという。オーナー会議は22ftへの短縮を決めたが、サパースタインは無視して25ftのまま試合を続けた。

ABLは3ポイントや制限区域の拡大など、8つの新ルールで船出した。だが、観客動員は安定せず、新たな資金も得られなかった。1962年12月31日、わずか1シーズン半で活動を終えた。

リーグは消えた。しかし、線は残った。

3ポイントを「ギミック」と見る声は多かった。それでも、このアイデアは次のリーグへ引き継がれていく。

ハーレム・グローブトロッターズの選手たちと並ぶエイブ・サパースタイン
グローブトロッターズの選手たちと、エイブ・サパースタイン(中央)。ABLを立ち上げ、3ポイントを最初にプロリーグへ持ち込んだ。

次に走ったのは、
ライバルリーグだった

NBAが見送った武器を、別のリーグが拾った。

1967年、新リーグABA(アメリカン・バスケットボール・アソシエーション)が開幕した。名前は似ているが、ABLとは別のリーグだ。

つながりは、人にあった。ABLで優勝したチームのコーチ、ビル・シャーマンが、ABAの創設者たちに、ABLの3ポイントを使うよう勧めた。

初代コミッショナーは、ジョージ・マイカン。NBAが制限区域を広げてまで抑え込んだ、あのマイカンが、今度はルールを足す側に回った。

マイカンは、3ポイントが小柄な選手にも得点の機会を与え、守備を広げると考えた。ABAは3ポイントとダンクを、NBAに対抗する看板にした。

1976年、ABAは消えた。3ポイントは、置いていかれた。

ABAは資金難で、球団の解散が相次いだ。1976年、残った4球団(デンバー、インディアナ、ニューヨーク、サンアントニオ)がNBAに加わった。NBAは、3ポイントを「お遊び」と見て、持ち込まなかった。

ABAの1周年を祝うケーキの前に立つジョージ・マイカン
ABA初代コミッショナーを務めたジョージ・マイカン。リーグ1周年のケーキとともに。

1年限りの
実験として始まった

導入は、確信ではなく「お試し」だった。

1979年のNBAは、人気の低迷に悩んでいた。ファイナルが、録画で遅れて放送されることさえあった。

試合に新しい見せ場を足したい。ABAと合併して以降、NBAはABAの人気も意識していた。そこで目をつけたのが、3ポイントだった。

1979年6月、導入が決まった。まずは1979-80シーズンだけの、試験導入だった。

反対も根強かった。セルティックスのレッド・アワーバックは、「そんなものは要らない」と言い切った。客寄せの奇策にすぎない、という見方だ。多くのコーチも、ポストプレーとレイアップを重視する戦い方を変えたくなかった。

線は、頂点とウイングで23ft9in、コーナーで22ft。

1979年10月12日。NBA初の3ポイントが決まった。

ボストンのホーム開幕戦、ヒューストン・ロケッツ戦。第1クォーター残り3分48秒、クリス・フォードが正面から沈めた。

フォードの試投は、この1本だけ。試合は114対106でセルティックスが勝った。

最初の1本は、開始時刻の差で決まった。

その試合では、ロケッツのリック・バリーも3ポイントを1本成功。新ルールはその日のうちに複数の選手によって使われ始めた。同じ夜にはほかの試合も行われていたが、先に始まったのがボストンの試合だった。NBAは3日後、フォードを「最初の1本」と発表した。

その夜の主役は、別にいた。ラリー・バードとマジック・ジョンソンが、NBAデビューを飾っていた。3ポイントは、静かに生まれた。

1979年10月12日、クリス・フォードがNBA史上初の3ポイントを成功。

OCTOBER 12, 1979BOSTON GARDEN

試合結果とクォーター別得点
FINAL1234T
Houston Rockets29242726106
Boston Celtics31253424114
BOSTON STARTERS
PLAYERMINFG3PFTREBASTPTS
Cedric Maxwell389-170-04-47122
Tiny Archibald384-90-05-621113
Dave Cowens305-130-11-113011
Larry Bird286-120-12-210514
Chris Ford277-151-12-23217
Team Totals24045-961-323-254526114
1979年10月12日、セルティックス対ロケッツ。NBAに3ポイントラインが導入された最初のシーズン、その開幕戦でクリス・フォードがリーグ史上初の3ポイントを決めた。Source: Basketball-Reference

導入しても、
武器にできなかった

多くのチームが、3ポイントを敬遠した。

ホークスは、1979-80シーズンを通して、3ポイントを13本しか決めなかった。ヒュービー・ブラウン監督は、守備と速攻を重視した。ブレッツのディック・モッタ監督は反対し、撃つことを許したのは、ケビン・グレビーだけだった。

一方で、積極的に使ったチームもあった。クリッパーズのジーン・シュー監督は、ブライアン・テイラーに撃たせた。テイラーは、リーグ最多の239本を試投した。

リーグ平均は、1チーム1試合あたり2.8本の試投、成功率は28.0%。1チームが決める3ポイントは、1試合0.8本だった。

なぜ敬遠されたのか。数字にすると、理由が見える。

3ポイントは、成功率33.3%で、50%の2ポイントと同じ価値になる。当時の3ポイントは28.0%。1本あたり0.84点にしかならなかった。

リック・バリーは、1980年2月9日に1試合8本という当時の記録をつくった。ラリー・バードは、このルールを好んでいなかった。それでも、相手に精神的なダメージを与える武器として、のちに使いこなした。

2年目の1980-81は、平均2.0本、成功率24.5%まで下がった。

15年たっても、1試合10本に届かなかった。

1993-94シーズンの平均は9.9本。どのチームも、3ポイントを戦術の柱にする方法を見つけられずにいた。

3ポイントの損益分岐点

3点 × 33.3% = 1.00

2点 × 50.0% = 1.00

28.0%→0.84POINTS PER SHOT(1本あたりの期待得点)1979-80 LEAGUE AVERAGE
ロケッツのユニフォームでシュートを放つリック・バリー
ロケッツ時代のリック・バリー。1980年2月9日に、1試合8本の記録をつくった。

NBAは
線を内側に引いた

得点が下がっていた。NBAは、3ポイントを近づけた。

1990年代前半、リーグの平均得点は下がっていた。1990-91の106.3点から、1993-94は101.5点へ。ニックスに象徴される、体をぶつける守備を和らげる狙いもあった。

NBAは、23ft9inのラインを、全周22ftに縮めた。1994-95から1996-97までの3シーズンだ。

試投はすぐに増えた。1993-94の平均9.9本から、1994-95は15.3本、1995-96は16.0本、1996-97は16.8本。

ジョン・スタークスが217本でリーグ最多。デニス・スコットは1995-96に267本を決めた。そして、この線の最大の勝者のひとりが、スティーブ・カーだった。

3ポイントは増えた。しかし、得点は増えなかった。

平均得点は、1994-95の101.4点から、1995-96は99.5点、1996-97は96.9点へ。3シーズン連続で下がった。

ブルズのユニフォームでジャンプシュートを放つスティーブ・カー
短縮された線を最大限に生かした、スティーブ・カー。

線は、
元の場所へ戻された

距離を縮めても、答えは出なかった。

1997-98シーズンから、NBAは3ポイントラインを元に戻した。頂点とウイングは23ft9in、コーナーは22ft。

理由は、狙いが外れたからだ。3ポイントの試投は増えたが、得点は上がらなかった。1996-97の平均得点は96.9点だった。

戻した1997-98シーズン、平均の試投数は16.8本から12.7本へ減った。得点の低下は止まらず、95.6点だった。

コーナーが22ftなのは、ラインがサイドラインと平行になるからだ。いちばん近い3ポイントが、そこにある。

戻された線は、約30年、動いていない。

1997年に戻された距離は、いまも変わらない。

  • クリス・フォード
  • リック・バリー
  • スティーブ・カー
  • ステフィン・カリー
  • クレイ・トンプソン
  • ボストン・セルティックス
  • ニューヨーク・ニックス
  • ゴールデンステート・ウォリアーズ
  1. 1961 ABLが3ポイントを導入
  2. 1967 ABAが採用
  3. 1979 NBAが試験導入
  4. 1994 全周22ftに短縮
  5. 1997 23ft9inに復元
  6. 2012 スプラッシュ・ブラザーズ誕生

外から撃てる選手が、ゴール下の攻防を広げた。マイカンやチェンバレンの時代にはなかった選択肢が、コートの外側に生まれた。

シュートの価値を決めるのは、距離とルール。NBAは線を動かし、元に戻し、その価値を自ら確かめていった。

23'9" → 22' → 23'9"

1979年に引かれた線は、1994年に内側へ、1997年に元の場所へ。コーナーは一貫して22ft。いまの距離は、1997年から変わっていない。

NBA3ポイントラインの変遷。23フィート9インチ、22フィート、再び23フィート9インチを比較した図

23ft9inから22ftへ、そして23ft9inへ。現在の3ポイントラインは、ここで止まる。

距離は同じ。
変わったのは、撃つ人間だった

一本の線の外側で、2人の選手が基準を書き換え始めた。

2012年12月21日。ウォリアーズ公式サイトの記者が、ステフィン・カリーとクレイ・トンプソンを「スプラッシュ・ブラザーズ」と呼んだ。2人で前半に3ポイント7本を沈めた試合だった。

その2012-13シーズン、カリーは272本を決め、レイ・アレンの269本を抜くシーズン記録をつくった。トンプソンは211本。2人の合計は483本だった。

その後も合計は伸びた。2013-14は484本、2014-15は525本。

そして2015-16。カリーは402本、トンプソンは276本。2人で678本。それまでの2人の記録を153本上回る、NBA記録だった。

402 3PM
CURRY, 2015-16 SEASON
678 3PM
CURRY + THOMPSON, 2015-16 SEASON
14 3PM
THOMPSON, ONE GAME (2018)

カリーは2016-17に、1試合13本を決めた。2018年10月29日、トンプソンが1試合14本を沈め、この記録を更新した。

リーグ全体も変わった。1チーム1試合あたりの試投数は、2011-12の18.4本から、2018-19の32.0本まで、毎年増え続けた。2015-16は24.1本。とくに2016-17(+2.9本)と2018-19(+3.0本)の伸びが大きかった。

2021年12月14日、カリーは通算2,974本目でレイ・アレンを抜いた。789試合目、アレンより511試合早い。2025年3月13日には、史上初の通算4,000本に到達した。

ウォリアーズのステフィン・カリーとクレイ・トンプソン
2012年に「スプラッシュ・ブラザーズ」と呼ばれた、ステフィン・カリーとクレイ・トンプソン。

3ポイントは、
競技の前提になった

1チーム1試合37本。それが、いまのNBAの平均だ。

2025-26シーズンのリーグ平均は、1チーム1試合あたり37.0本の試投、13.3本の成功、成功率36.0%。シュート全体の41.5%が、3ポイントだった。

1979-80シーズンの2.8本と比べると、13倍を超える。

個人でも同じだ。1979-80の1試合平均の試投数トップは、リック・バリーの3.07本。2025-26は、ルカ・ドンチッチの10.84本だった。

最も撃ったのはウォリアーズの44.1本、最も決めたのはホーネッツの16.4本。

2.8→37.03PA PER TEAM1979-80 → 2025-26

線は同じ。3点も同じ。それでも、競技の形は大きく変わった。

「一本の線が、シュートの価値を決める。
価値が変われば、競技が変わる。」

サパースタインが引いた線は、見世物と呼ばれた。ABAが受け継ぎ、1979年にNBAが1年限りで試した。最初の10年は、ほとんど使われなかった。

1994年、NBAは線を縮めて得点を動かそうとした。試投は増えたが、得点は増えず、1997年に元の距離へ戻した。

3ポイントは、導入しただけでは競技を変えなかった。選手が磨き、チームが組み立て、半世紀近くをかけて、競技の前提になった。

1979年にNBAへ引かれた一本の線は、当初ほとんど使われなかった。それでも選手と戦術が進化するにつれ、3ポイントはロスター構成、スペーシング、守備の考え方まで変えていった。

かつては「使うかどうか」を議論された3ポイント。現在のNBAでは、その一本をどう生み出し、どう防ぐかが勝敗を左右している。

現代NBAは
どう作られたのか

守りを縛り、攻めを解き放った。ゾーン、ハンドチェック、14秒、テイクファウルをめぐる改革へ。