THE HOME RUN IDEA
3ポイントは
興行の発明だった
最初に線を引いたのは、NBAではなかった。
1961年、エイブ・サパースタインは、新リーグ「ABL」を立ち上げた。サパースタインは、1926年に創設された世界的な興行チーム、ハーレム・グローブトロッターズのオーナーだ。巧みなパフォーマンスで観客を沸かせ、NBAの試合の前座にも出て、リーグの人気を支えていた。
立ち上げの理由は、NBAへの不満だった。長年NBAに協力してきた見返りに、ロサンゼルスの球団を約束されたと考えていた。ところが、球団は手に入らなかった。ロサンゼルスへの移転が認められたのは、ミネアポリス・レイカーズだった。
サパースタインは、NBAに対抗するリーグを自分で作った。巨大なNBAに挑むには、ルールそのものに、NBAと違う武器が必要だった。
彼が選んだのが3ポイントだ。遠くから決めれば3点。野球のホームランのような一撃を、バスケットボールに持ち込もうとした。
距離は25ft。科学的な根拠はなかった。サパースタインが、デポール大のレイ・マイヤー監督とコートにテープを貼って、決めたという。オーナー会議は22ftへの短縮を決めたが、サパースタインは無視して25ftのまま試合を続けた。
ABLは3ポイントや制限区域の拡大など、8つの新ルールで船出した。だが、観客動員は安定せず、新たな資金も得られなかった。1962年12月31日、わずか1シーズン半で活動を終えた。
リーグは消えた。しかし、線は残った。
3ポイントを「ギミック」と見る声は多かった。それでも、このアイデアは次のリーグへ引き継がれていく。

THE ABA EXPERIMENT
次に走ったのは、
ライバルリーグだった
NBAが見送った武器を、別のリーグが拾った。
1967年、新リーグABA(アメリカン・バスケットボール・アソシエーション)が開幕した。名前は似ているが、ABLとは別のリーグだ。
つながりは、人にあった。ABLで優勝したチームのコーチ、ビル・シャーマンが、ABAの創設者たちに、ABLの3ポイントを使うよう勧めた。
初代コミッショナーは、ジョージ・マイカン。NBAが制限区域を広げてまで抑え込んだ、あのマイカンが、今度はルールを足す側に回った。
マイカンは、3ポイントが小柄な選手にも得点の機会を与え、守備を広げると考えた。ABAは3ポイントとダンクを、NBAに対抗する看板にした。
1976年、ABAは消えた。3ポイントは、置いていかれた。
ABAは資金難で、球団の解散が相次いだ。1976年、残った4球団(デンバー、インディアナ、ニューヨーク、サンアントニオ)がNBAに加わった。NBAは、3ポイントを「お遊び」と見て、持ち込まなかった。

ONE-YEAR TRIAL
1年限りの
実験として始まった
導入は、確信ではなく「お試し」だった。
1979年のNBAは、人気の低迷に悩んでいた。ファイナルが、録画で遅れて放送されることさえあった。
試合に新しい見せ場を足したい。ABAと合併して以降、NBAはABAの人気も意識していた。そこで目をつけたのが、3ポイントだった。
1979年6月、導入が決まった。まずは1979-80シーズンだけの、試験導入だった。
反対も根強かった。セルティックスのレッド・アワーバックは、「そんなものは要らない」と言い切った。客寄せの奇策にすぎない、という見方だ。多くのコーチも、ポストプレーとレイアップを重視する戦い方を変えたくなかった。
線は、頂点とウイングで23ft9in、コーナーで22ft。
1979年10月12日。NBA初の3ポイントが決まった。
ボストンのホーム開幕戦、ヒューストン・ロケッツ戦。第1クォーター残り3分48秒、クリス・フォードが正面から沈めた。
フォードの試投は、この1本だけ。試合は114対106でセルティックスが勝った。
最初の1本は、開始時刻の差で決まった。
その試合では、ロケッツのリック・バリーも3ポイントを1本成功。新ルールはその日のうちに複数の選手によって使われ始めた。同じ夜にはほかの試合も行われていたが、先に始まったのがボストンの試合だった。NBAは3日後、フォードを「最初の1本」と発表した。
その夜の主役は、別にいた。ラリー・バードとマジック・ジョンソンが、NBAデビューを飾っていた。3ポイントは、静かに生まれた。
OCTOBER 12, 1979BOSTON GARDEN
| FINAL | 1 | 2 | 3 | 4 | T |
|---|---|---|---|---|---|
| Houston Rockets | 29 | 24 | 27 | 26 | 106 |
| Boston Celtics | 31 | 25 | 34 | 24 | 114 |
| PLAYER | MIN | FG | 3P | FT | REB | AST | PTS |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| Cedric Maxwell | 38 | 9-17 | 0-0 | 4-4 | 7 | 1 | 22 |
| Tiny Archibald | 38 | 4-9 | 0-0 | 5-6 | 2 | 11 | 13 |
| Dave Cowens | 30 | 5-13 | 0-1 | 1-1 | 13 | 0 | 11 |
| Larry Bird | 28 | 6-12 | 0-1 | 2-2 | 10 | 5 | 14 |
| Chris Ford | 27 | 7-15 | 1-1 | 2-2 | 3 | 2 | 17 |
| Team Totals | 240 | 45-96 | 1-3 | 23-25 | 45 | 26 | 114 |
THE SLOW START
導入しても、
武器にできなかった
多くのチームが、3ポイントを敬遠した。
ホークスは、1979-80シーズンを通して、3ポイントを13本しか決めなかった。ヒュービー・ブラウン監督は、守備と速攻を重視した。ブレッツのディック・モッタ監督は反対し、撃つことを許したのは、ケビン・グレビーだけだった。
一方で、積極的に使ったチームもあった。クリッパーズのジーン・シュー監督は、ブライアン・テイラーに撃たせた。テイラーは、リーグ最多の239本を試投した。
リーグ平均は、1チーム1試合あたり2.8本の試投、成功率は28.0%。1チームが決める3ポイントは、1試合0.8本だった。
なぜ敬遠されたのか。数字にすると、理由が見える。
3ポイントは、成功率33.3%で、50%の2ポイントと同じ価値になる。当時の3ポイントは28.0%。1本あたり0.84点にしかならなかった。
リック・バリーは、1980年2月9日に1試合8本という当時の記録をつくった。ラリー・バードは、このルールを好んでいなかった。それでも、相手に精神的なダメージを与える武器として、のちに使いこなした。
2年目の1980-81は、平均2.0本、成功率24.5%まで下がった。
15年たっても、1試合10本に届かなかった。
1993-94シーズンの平均は9.9本。どのチームも、3ポイントを戦術の柱にする方法を見つけられずにいた。
THE MATH
3ポイントの損益分岐点
3点 × 33.3% = 1.00
2点 × 50.0% = 1.00

THE SHORTER LINE
NBAは
線を内側に引いた
得点が下がっていた。NBAは、3ポイントを近づけた。
1990年代前半、リーグの平均得点は下がっていた。1990-91の106.3点から、1993-94は101.5点へ。ニックスに象徴される、体をぶつける守備を和らげる狙いもあった。
NBAは、23ft9inのラインを、全周22ftに縮めた。1994-95から1996-97までの3シーズンだ。
試投はすぐに増えた。1993-94の平均9.9本から、1994-95は15.3本、1995-96は16.0本、1996-97は16.8本。
ジョン・スタークスが217本でリーグ最多。デニス・スコットは1995-96に267本を決めた。そして、この線の最大の勝者のひとりが、スティーブ・カーだった。
3ポイントは増えた。しかし、得点は増えなかった。
平均得点は、1994-95の101.4点から、1995-96は99.5点、1996-97は96.9点へ。3シーズン連続で下がった。

BACK TO 23'9"
線は、
元の場所へ戻された
距離を縮めても、答えは出なかった。
1997-98シーズンから、NBAは3ポイントラインを元に戻した。頂点とウイングは23ft9in、コーナーは22ft。
理由は、狙いが外れたからだ。3ポイントの試投は増えたが、得点は上がらなかった。1996-97の平均得点は96.9点だった。
戻した1997-98シーズン、平均の試投数は16.8本から12.7本へ減った。得点の低下は止まらず、95.6点だった。
コーナーが22ftなのは、ラインがサイドラインと平行になるからだ。いちばん近い3ポイントが、そこにある。
戻された線は、約30年、動いていない。
1997年に戻された距離は、いまも変わらない。
象徴的スター
- クリス・フォード
- リック・バリー
- スティーブ・カー
- ステフィン・カリー
- クレイ・トンプソン
代表チーム
- ボストン・セルティックス
- ニューヨーク・ニックス
- ゴールデンステート・ウォリアーズ
タイムライン
- 1961 ABLが3ポイントを導入
- 1967 ABAが採用
- 1979 NBAが試験導入
- 1994 全周22ftに短縮
- 1997 23ft9inに復元
- 2012 スプラッシュ・ブラザーズ誕生
戦術の変化
外から撃てる選手が、ゴール下の攻防を広げた。マイカンやチェンバレンの時代にはなかった選択肢が、コートの外側に生まれた。
時代の意味
シュートの価値を決めるのは、距離とルール。NBAは線を動かし、元に戻し、その価値を自ら確かめていった。
THE LINE MOVES
23'9" → 22' → 23'9"
1979年に引かれた線は、1994年に内側へ、1997年に元の場所へ。コーナーは一貫して22ft。いまの距離は、1997年から変わっていない。
NBA3ポイントラインの変遷。23フィート9インチ、22フィート、再び23フィート9インチを比較した図
23ft9inから22ftへ、そして23ft9inへ。現在の3ポイントラインは、ここで止まる。
THE SPLASH BROTHERS
距離は同じ。
変わったのは、撃つ人間だった
一本の線の外側で、2人の選手が基準を書き換え始めた。
2012年12月21日。ウォリアーズ公式サイトの記者が、ステフィン・カリーとクレイ・トンプソンを「スプラッシュ・ブラザーズ」と呼んだ。2人で前半に3ポイント7本を沈めた試合だった。
その2012-13シーズン、カリーは272本を決め、レイ・アレンの269本を抜くシーズン記録をつくった。トンプソンは211本。2人の合計は483本だった。
その後も合計は伸びた。2013-14は484本、2014-15は525本。
そして2015-16。カリーは402本、トンプソンは276本。2人で678本。それまでの2人の記録を153本上回る、NBA記録だった。
CURRY, 2015-16 SEASON678 3PM
CURRY + THOMPSON, 2015-16 SEASON14 3PM
THOMPSON, ONE GAME (2018)
カリーは2016-17に、1試合13本を決めた。2018年10月29日、トンプソンが1試合14本を沈め、この記録を更新した。
リーグ全体も変わった。1チーム1試合あたりの試投数は、2011-12の18.4本から、2018-19の32.0本まで、毎年増え続けた。2015-16は24.1本。とくに2016-17(+2.9本)と2018-19(+3.0本)の伸びが大きかった。
2021年12月14日、カリーは通算2,974本目でレイ・アレンを抜いた。789試合目、アレンより511試合早い。2025年3月13日には、史上初の通算4,000本に到達した。

THE NEW NORMAL
3ポイントは、
競技の前提になった
1チーム1試合37本。それが、いまのNBAの平均だ。
2025-26シーズンのリーグ平均は、1チーム1試合あたり37.0本の試投、13.3本の成功、成功率36.0%。シュート全体の41.5%が、3ポイントだった。
1979-80シーズンの2.8本と比べると、13倍を超える。
個人でも同じだ。1979-80の1試合平均の試投数トップは、リック・バリーの3.07本。2025-26は、ルカ・ドンチッチの10.84本だった。
最も撃ったのはウォリアーズの44.1本、最も決めたのはホーネッツの16.4本。
線は同じ。3点も同じ。それでも、競技の形は大きく変わった。
THE LINE DECIDES
「一本の線が、シュートの価値を決める。
価値が変われば、競技が変わる。」
サパースタインが引いた線は、見世物と呼ばれた。ABAが受け継ぎ、1979年にNBAが1年限りで試した。最初の10年は、ほとんど使われなかった。
1994年、NBAは線を縮めて得点を動かそうとした。試投は増えたが、得点は増えず、1997年に元の距離へ戻した。
3ポイントは、導入しただけでは競技を変えなかった。選手が磨き、チームが組み立て、半世紀近くをかけて、競技の前提になった。
1979年にNBAへ引かれた一本の線は、当初ほとんど使われなかった。それでも選手と戦術が進化するにつれ、3ポイントはロスター構成、スペーシング、守備の考え方まで変えていった。
かつては「使うかどうか」を議論された3ポイント。現在のNBAでは、その一本をどう生み出し、どう防ぐかが勝敗を左右している。
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